※BC(バックカントリー)で遊ぶには十分な装備、知識、経験が必要です。安全に注意し、レベルに合ったフィールドで楽しみましょう。
2013年K2遠征その⑪_K2BC~帰国
2013年8月3日

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7/28 前日の下山決定を受け、ハイポーター4人でC2の荷下げに行く。隊員も手伝うと言うと、隊員は上部キャンプに上がるなと断固拒否された。ロープはかなり消耗し、雪融けで落石も多いから絶対上がるなとくぎを刺される。そしてその心配が的中。小岩壁でロープが切れハイポーターの1人が墜落。幸い足をひねった程度で済み、大事には至らなかった。そして夜になるとシェルパがやってきて、C3は我々のテントも含め全て雪崩で流されていたこと、ニュージーランド隊の物と思われる装備をデブリ上に確認し、彼らが雪崩に巻き込まれたのはほぼ確実であろうとのことを教えてくれた。
(レポート:小谷部、写真・動画:栃木K2登山隊2013)
7/29 昨日のシェルパの情報を受け、ニュージーランド人親子のプレートをメモリアル(慰霊碑)に設置に行く。

7/30 足をひねった一人を残し、ハイポーター3人でC1の荷下げに行くと、昼ごろにはBCまで戻ってきてしまった。またその間にも、各隊が「また来年!」と言って続々とBCを去っていく。
7/31-8/2 キャラバンに備え団体装備、個人装備をパッキング。長期予報通り8/1の日中までは晴れていたが、徐々に下り坂で夜には雨も降った。2009年は8月に入っても雪しか降らなかったので、ここでの雨は想定外。折りたたみ傘でも持って来ればよかったか。
8/3 朝起きるとあいにくの雨。出発する頃には何とかやんでくれたが、K2には雲がかかったままで、最後にその姿を見ることは出来なかった。
コンコルディア周辺はK2、ブロード・ピーク、ガッシャーブルムなど各方面から流れ込む川のため、氷河は複雑な地形になっている。また、朝晩の水量が少ない時に渡渉するルートや、日中の水量が多く渡渉できずに迂回するルートなどが混在しているため、ルートが分かりにくい。そして我々も渡渉できないルートに迷い込み少し戻る羽目になった。
コンコルディア手前の水路。氷河の中から姿を現し、再び氷河の中へ消えていく。来るときは見てないが、こんなところに落ちたらひとたまりもない。
コンコルディアで昼食を食べ今日の宿泊地ゴレⅡへ出発すると、パラパラと降ったりやんだりの雨が完全に本降りとなってしまう。そんな中でもポーターは雨具も着ないで足早に我々を追い越して行く。激しい雨は小一時間ほどでやみ、夕方18時過ぎにようやくゴレⅡに到着。
8/4 今日はウルドカスの先コブルツェまで。往きのキャラバンを考えるとウルドカス泊まりと思っていたが、泊まらずに1つ先のコブルツェまで行くという。下りなので大丈夫だろうが、何かウルドカスに泊まれない理由でもあるのだろうか。
ウルドカスまで来ると、往きのキャラバンでパイユから町へ下りたリエゾンオフィサーがおり、我々と合流する。我々の下山を聞きつけ、パイユまでヘリで入りウルドカスまで歩いてきたという。相手するのが面倒臭いので、スカルドの町でずっと待っていればいいものを、変に生真面目で困ったものだ。そして15時半ごろコブルツェに到着。
コブルツェには、ちょうどコンコルディアへ向かう日本のトレッキング隊が上がってきていた。日本を出国して約2ヶ月。日本の情報が全くないので、日本でのナンガパルパッドのBC襲撃事件の報道等、お茶を飲みながらいろいろ話をした。
8/5 本日も通常のパイユ泊まりを飛ばして、その先のパルデマルまで行くことにする。
パイユの手前には川があり、6月に通過するときは水量も少なく問題ないが、8月ともなると氷河の融解が進み濁流となって渡れない可能性がある。よって、通常通らない対岸の軍の駐屯地を経由するルートを行くことにした。しかしこちら側の支流も、パイユ側ほどではないが増水しており、一部靴を脱いでの渡渉を2回強いられた。
パイユ下流の川幅が狭くなるところで、濁流のビアフォ川を吊り橋で渡り、通常のルートと合流。


そして、本日最大の難関となった渡渉。水流が強く流されそうになるため、ポーター達が川に入りサポートしてくれた。しかも、氷河の融解による増水のため氷水のように冷たいが、渡渉する人すべて分け隔てなく手助けしてくれるところがいい。
パルデマルに到着すると、我々以外誰もおらず静かでのんびりとくつろげた。また、シートの上に寝転がると心地よい風もあり最高に気持ちよかった。
8/6 今日は短くジョラまで。水が豊富なので、早くついて洗濯や洗髪をする予定。
途中でトカゲを発見。野生の生き物はめったに見られないので、見つけるとなんかうれしい。
そして、11時前にはジョラに到着。予定通り洗濯をし、髪を洗い体を水拭きすると気持ちがいい。
8/7 トレッキング最終日。長い歩きも今日が最後だ。
コラホーン。6月半ばにK2BCへ行くときは、急な雪解けで川が氾濫し、この橋も橋桁近くまで水没していた。あの時は冷たい渡渉を強いられたが、今日は水位も普通で濡れることなく歩けた。
最後の吊り橋。ビアフォ氷河の融解による増水で、橋のすぐ下まで濁流がせまっており迫力満点。
ラベンダー群生地。これが見えるとアスコーレも近い。
そして13時頃アスコーレ到着。本日はここで泊まり、明日ジープで町へ下りる。
8/8 6時過ぎアスコーレ出発。しかし、6月に崩壊した村の手前の道路は復旧していないため、崩壊地の先まで歩いてジープを待つ。
荷物と一緒にジープの荷台に乗り、小一時間ほど揺られると道路崩壊により停車。すると、地元住民がジープに群がり我先にと我々の荷物を奪い合う。崩壊地の先まで荷物を運びお金をもらうためで、全員分ないため奪い合いとなる。なんか荷物が盗まれないか非常に心配だった。また、本来ならスカルドまで行くところ、ラマダン明けのお祭りで危ないからと手前のシガルにあるインターナショナルゲストハウスに泊まる。結構こぎれいに見えたが、水は砂交じりで使えずダニにやられた隊員もいた。
8/9 朝のお祈り待ちで、9時過ぎと遅い出発。しかし、シガルからは舗装路で距離も近いので1時間もかからず到着。夜は明日には帰ってしまうキッチンスタッフとハイポーターとのお別れ会を開く。
8/10-8/14 通常ならバスでイスラマバードへ移動するところ、ナンガパルパッドのBC襲撃事件を受け、費用は掛かるが安全な空路を選択。フライト待ちでしばらくスカルドに滞在となったので、アスコーレへの往復で使ったジープ会社の社長宅にお呼ばれしお茶を御馳走になったり、スカルド周辺のプチ観光などで時間をつぶす。また、余った酸素やロープなどを地元の登山ショップに売り、荷物を減らした。しかし、フライト前日に雨となり飛行機が飛ばず、翌日の飛行機に我々が乗れない可能性が出てきた。ここでは飛行機が飛べなかったとき、当日の予約よりも前日飛べなかった人が優先らしく、予約していても乗れないことがあるらしい。よって、急遽バスでイスラマバードへ移動することに変更した。
8/15 イスラマバードまでは、通常チラス付近で1泊となるが、そこはナンガパルパッドのBC襲撃事件があったコヒースタン州で、事件の容疑者もつかまっていない今、道中で一番危険な場所だった。よってコヒースタン州を明るい内にノンストップで通過するべく、ドライバーを二人雇い、日付が変わる前の23時にホテルを出発。すると道路には軍による検問が増えており、チェックも厳しく余計な時間がかかる。しかし、同行のリエゾンオフィサーとドライバーには緊張感が無く、朝方眠いのかバスを止め小一時間ほど休憩したり、チラスで朝食、もう少しで危険地帯を抜けるという手前での昼食など、我々の要求が全く分かっていない。幸い何事もなかったが、最後にイスラマバード市内で道に迷うおまけもつき、深夜3時20分にようやく到着。いろんな意味で疲れた。
8/16-8/18 登山協会にてK2登山のデブリーフィングを行う。リエゾンオフィサーから途中で帰ったことなど、いろいろ言わないよう頼まれるが、協会から現在の制度改善のためにも正直に話してほしいと言われ、全てぶちまける。リエゾンオフィサーは怒って何か捨て台詞を言い去って行ったが、この制度が良くなるには時間がかかりそうだ。フライトまでの間に装備の発送手続きの確認で郵便局へ行くと、SAL便の重量が25キロと聞いていたのが20キロと言われ、急遽パッキングし直す。全部20キロ以内にパッキングして郵便局へ持って行くと、今度は樽はダメと断られる。もうパッキングを直す余裕が無いので、エージェントに再パッキングと発送を依頼し後を託した。
8/19 18日夜の出発が少し遅れたが、13時ごろ成田に到着。
途中、誰もリタイヤすることなく無事K2遠征を終えることができました。